
新世紀の国のすがたを考えよう (論憲集 二十一世紀国のかたちを求めて 近未来政治研究会)
日本国憲法について、三つのことを考えてみたい。一つは、「憲法は何のためにあるのか」ということであり、もう一つは、「世界平和」と「日本の平和」との関係、そして三つ目は、地方自治の確立である。
〇固有の意味における憲法
人間が社会をつくれば、そこには必ず法秩序が必要である。憲法が、「国家という社会の基本法」といわれるゆえんである。
問題は、国家が、他の社会にはない「統治」すなわち「権力的支配」という機能を持っていることである。歴史的に見て、この権力的支配は、専制君主に一方的に付与されていた時代(例えば、ルイ十四世の『朕は国家なり』)を経て、今は権力者と被統治者との間の合意に基づくものとされている。従って、近代憲法では権力の乱用を防止する観点から立法・司法・行政の三権分立と基本的人権の保障が謳われている。
問題は、民主主義が成熟してきた社会において、いつまでも「権力乱用防止」という観点からのみ基本的人権問題を考えてよいのか、という点である(三権分立については何ら問題ない)。すなわち、国家と国民を対立概念として捉えてよいのか、ということである。
基本的人権という物差しをあてて国家と国民を対立するものとして考えることは必要であるが、第一に、国家は国民の総意により構成され(constitute)るものであるから、国家という社会のために何をなすべきか、をもう少し問うてみるべきではないか。また、社会と個々の人間との関係が複雑化してきている現代においてこの事は、問いなおされないと、かえって国家という社会が機能しなくなることを惧れる。
〇世界平和と日本の平和
日本国憲法は「戦争なき世界」を前提にしている。世界史に類を見ない理想憲法である。日本が侵略戦争を起こすことは、絶対に考えられないが、問題は二つある。
第一に、経済大国日本が、いつまでも一国平和主義にとどまっていてよいのか、ということである。経済面のみならず、あらゆる可能な局面で、日本は国際的な貢献をすべきではないか。
平和を希求する国という日本の理想を、世界の人々に理解してもらい、日本が国際社会の中で敬愛される国となることが、日本の平和につながるのではないか。
昨年(一九九九年)成立したガイド・ライン法は、このような意味で、大きな第一歩を踏み出したものといえる。すなわち、極東の平和と安全については、これまで、アメリカの兵士(ヒト)と日本の基地や施設(モノ)の協力で守られてきたが、ガイド・ライン法を契機として「ヒト」と「ヒト」との協力によって周辺事態に対応することとなった。大きな進歩である。
いつまでも、個別的自衛権はあるが、集団的自衛権はない、などという法律論のための法律論に拘泥すべきではない。平和国家日本の結論を出すべきタイミングが到来していると思う。
〇地方自治の確立
明治以来の中央集権を地方分権にしたのは、今の憲法で地方の首長を公選にしたからである。しかし、知事や市町村長公選の趣旨が今は全く徹底されていない。その理由は、首長が、自分を選んでくれた住民のために、いかなる行政サービスをやるのか、そのために住民にどこまでイタミ(税負担)を求めるのか、との議論がないからである。残念ながら今の制度のもとでは、良き首長か否かは、国から補助金や交付金を獲得してくることによる場合が多い(中央直結型の知事が評価されるゆえんである)。
国と地方との仕事を区分していこう。税源を地方に委譲して行こう。そして、交付税や補助金はやめよう。イタミが伴えば、地方分権の重さと規律が生まれるはずである。そのことは、日本が、今、最大の危機として直面している財政再建へつながる。
憲法は、単に首長公選を謳うだけではなく、地方自治の精神を明確にすべきではないか。
|